「好き」の個人差
会話をしていて好きなものが同じだった時、盛り上がることが多いと思います。
しかしその時に、お互いの興味レベルがかけ離れていると微妙な雰囲気にもなります。
たとえば
「俺コーヒーめっちゃ好きでさあ」
「えー何が好きなの?!」
「最近はエメマン(缶コーヒー)!」
「そ、そうなんだ…(缶コーヒー)」
みたいな。
酸味とか苦味とかまではいかないけど、豆の種類とか美味しいお店の話くらいはしたいのになぁというモヤモヤ感。
この話はほとんどのジャンルでよくある話で「ジャイアンツファンなのに長嶋茂雄を知らない」「ピカソが好きなのにゲルニカを知らない」みたいな、熱烈ファンからしたら「そんなのでファンと名乗らないでくれ」みたいな感じ。
ジャズだと
「トランペットやっていて、マイルスデイビス?が好きです」
「へぇ、どの年代の?え?2曲しか知らないの?そんなのでよく好きと言えたね(笑)そもそもApple Musicで聴いてる時点でジャズファンとしてはどうかと思うね、うん」
みたいな感じですか、流石にここまではないか。いやありますよ。
その時の対応でそのジャンルのファンのレベルが決まるなぁと思います。"そんなのでよく好きと言えたねおじさん"は論外だけど、やっぱり「えーっと…」となる事が多い、自分の場合は。
自分よりもあまり詳しくない人に対して、好意的であった方が絶対にQOLが上がると思う。「挽きたてのコーヒーが飲める店知ってるよ!今度行かない?」みたいな、沼に引きずりこむくらいの勢いで。
日本人は「好きと言うからにはこれくらいは常識」みたいな価値観が強い気がします。英語が話せる=ペラペラじゃないとダメ、のような感覚。
それはそれで良いけど、そこでお互いマウントし合って誰が幸せになるのか。
やっぱり共有して歩み寄るっていうのが出来る人ほど、人間的にも魅力的だなと感じる今日この頃です。
できるかも、と思えるようにする
ギタリストのhidenoriさんがギターマガジンのインタビューでこんなことをおっしゃっていました。
"自分は「速弾きができない側のギタリスト」と思っていたのが、「速弾きができる側のギタリストかもしれない」と思えるようになって、そこから上達が早かった"
とても良い体験記だと思いました。
出来るかも、と思えた後の成長スピードはすさまじいと思います。「いつまで経っても出来る側にはなれない」と思い込んでしまっていると、出来るようになるポイントで踏ん張れなくなる気がする。
今の若い人は自信がないとよく聞きます(自分がそうなんですが)。自信がないことは悪いことではないけど、それが成長の妨げになるのは非常にもったいないなぁと。
「いけるんちゃう?」「たぶん大丈夫やろ」「今の俺ええ感じやったな」
そういう風に思える自分を形成すると、上達しやすいのかな。
ただしいきなり自信を持てと言っても土台無理な話なので、そういう自分を10%くらい脳内に配置しておくイメージで。
これ、時間かけたらできるかも!
そう思えるように何事もすぐに放り出さないようにしたいです。
スウィングとは
スウィングとは一体なんなのか。人によってけっこうまちまちだなと感じています。
自分は「前進してる感があるかどうか」がひとつの基準としています。
ドラム・ベースは顕著に出るのですが、「いち!に!さん!し!」みたいな4つ打ちは個人的にすごく止まって聴こえてて、逆に「イチニーサンシー」みたいな4つ打ちは前進感が聴こえてきます。(文章化は不可能ですね、わかります!)
自分がベースを弾いてた頃にバラード曲をやっていたんですが「マホ君のベース、なんか止まって聴こえるわ。もっと進んでいく感じにせんとあかんよ」と言われたことがあります。
当時は全然意味が分からなかったのですが、今ではなんとなーく分かります。聴き手にはぶつ切りに止まって聴こえてたと思います・・・。
曲の始めにするカウントなんかまさにスウィングの違いが顕著に出る気がします。めっちゃ上手い人のカウントはめっちゃスウィングしてます。ベイシー楽団が来日した時に聴きに行ったんですが、コンマスのカウントの段階で「!?」ってなりました。
あと譜面上のピッタリのところに音を置くだけの作業だと、どうしてもノッペリ感が出てしまいますね。アンサンブルの広がりのためには、ビートが立体的になるように音を配置していかないといけないとも思います。
ここまで分かってる風に書いてますけど全然分かってないですしそもそもまともにギター弾けてないのでアレなんですけど、初心者でもスウィングは常に意識しとかないといけないですねというお話。
スウィングについてはかなり練習した時期もあったけど、結局スウィングしながらイーヴン気味で弾かないといけないとかいう事になったのでこの話はここで終わりたいと思います!
好きなミュージシャンを作る
高校時代、部活の先輩に
「好きなミュージシャンを作れよ!」と口酸っぱく言われておりました。
好きなミュージシャンがいるという状態は演奏技術の上達に重要ですよね。
先輩方はリッチーコッツェンやヌーノベッテンコート、ジョンロードを各々研究されていました。
その内の何名かは現在プロミュージシャンとして活動されています。「高校生の頃から目標を高く持っていたらこのレベルまでなれるのか」と感服しています。
一方私は高校時代の頃も現在も「この人だ!」というミュージシャンを見つけれずにいます。その時々で変わっていく。
それにすごくコンプレックスを感じた時期もありました。
しかし「自分は1人のミュージシャンを追いかけるタイプ」ではなく「自分はいろんなミュージシャンからつまみ食いするタイプ」だと考えるようになってからは、落ち込むことはなくなりました。
ただそのつまみ食いは本気で食っていかないと身にならないとも痛感します。ニュアンスまでコピーするとか、ドライブ感まで真似するとか。
好きなミュージシャンをたくさん見つけられるよう、これからもたくさん音楽を聴いていきたいです。
楽器は生きていると実感した体験
とある弦楽器工房に行った時のことです。
所狭しと楽器が並べられていました。その様は圧巻です。
その中に購入を検討している楽器がありました。
店主に試奏をお願いし、準備をしてもらっている間に雑談していた時に
「楽器は生きてるからね、今は眠ってる状態なんだよ」とおっしゃっていました。
楽器を手渡されると「起きてくれるまで20分くらいはかかるから、どうぞごゆっくり〜」と、奥の方へ行かれてしまいました。
そこから15分くらい弾いていて「あ、楽器が鳴るようなってきた」と感じ始めました。眠っていた楽器を起こす感覚がありました。
結局その楽器は買わずじまいでしたが、とても貴重な体験だったと思います。
ギターにおいてはまだ"鳴る"感覚は掴めていないのですが、楽器はやはり生きているなぁと感じます。
それ以降、より一層楽器を大切にするようになりました。
ジャズスタンダードとは
私の最も悪い癖のひとつに「ジャズスタンダードしか聴かない」というものがありました。
誰かの聴いたことのないオリジナルより、いろんな人がやってる「自分が知ってる曲」だけを聴いていました。
たとえばAll of meとかTake the A trainとか。
確かに、知ってる曲の方が単純に楽しめます。「あの人はああ弾いてたけど、この人はこう弾くんだ!」みたいな面白さもありますよね。
でもそれってすごくもったいないです。
そのスタンスだと、ジャズスタンダードをよくやる人しか聴かなかったり、素晴らしいオリジナルに触れるチャンスを放棄してしまいます。
最近はそういうのは少なくなったのですが、やはりアルバムひとつとってもまずジャズスタンダードを聴いてしまいます。
同じ割合くらいで聴いていけたら良いなと思います。
そもそもジャズスタンダードとはなんなのでしょうか。
いろんな人が演奏しているからジャズスタンダード、それはもちろんあります。
私は「自分が好きだと感じた曲」も、ジャズスタンダードになると思うのです。
もし"スタンダードナンバーリスト"というものが存在するとしたら、
そこから選ぶのではなく、自分でそのリストに書き込んでいくくらいの気持ちでいた方がいいんじゃないかなと。
その方がもっとたくさんの曲に触れようって思える気がします。
※この記事にオチはないぞ!気をつけろ!
コピー嫌いの処方箋
コピーが嫌いです。
上達にはコピーが必須なのも重々承知しておりますが、嫌いなのです。
まず聴き取るのが苦手で、譜面に起こすのも億劫で、それをまず弾けるようになるのが難しくて、それを「分析して自分のフレーズにする」ところまで到底たどり着きません。
ではコピーはもうしないの?というと、やはり必須事項ではありますので、避けて通れません。
そこで私は2つの方法でコピーをしています。
1つ目は、ワンフレーズだけコピーする。
1小節ほどのカッコイイフレーズのみを取り出して、弾けるようにしてそのままバッキングトラック上で何度も再現してみます。
得られるものは少ないですが、上記の「コピーがしんどい理由」を出来るだけ省略するので、コピーが苦じゃありません。
2つ目はパーカーソングをコピーすることです。理由は
・テーマを習得できる
・ビバップのイディオムの宝庫である
・けっこう難しいので弾けると達成感が強い
などが挙げられます。
パーカーソングを何ヶ月も取り組む中で、いつものめちゃくちゃアドリブソロの中に「ジャズっぽいフレーズ」が出てくるようになりました。
覚えたリック同士を繋げるヒントもあったりして、上達効果をかなり感じられます。
私と同じようなコピー嫌い(笑)の方、おすすめです!